`歴史認識

歴史が繰り返されるというよりは、歴史は集積された残渣で、人がそれをそれぞれの立場で理解、解釈することになる。振り返ってみれば、この国が「民主的」な時間を過ごしたことは一度もなかった。ここでは、自己の目的よりも、他からいかに評価というよりは認めてもらうかという卑屈さが、推進力となっている。規範があれば、我先に従うことを選択というより、「誇り」とする訳のわからない性向が存在する。

10/31/2015

市民と知識

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1961 (昭和36年) にこの本 (渡辺一夫 へそ曲がりフランス文学、 光文社カッパブック)が1か月で八刷を重ねたことは、2020年の今 驚嘆するしかない。

本離れが云々の出版業界の話ではなく

60年代初頭という時代から推察して

この本を手にした

読者の

大多数が

中卒高卒であろうことが

現在の社会の

根本的な貧困を

示している。

 

コロナウイルスと報道

国内で公表される感染者数の時系列変化が、データとして理解不能である。

サンプリングに操作があるというより、稚拙かつ不可解というしかない。

 初現から半年近くがたち、20万人以上の死者を出しているという事実にどのように対処するのか、世界の事実から学ぼうという姿勢がまるで感じられない。

さらに、COVID-19により、日本の報道が情緒的迎合的な視点にどっぷり漬かりきって、そこから脱却できないことが、あぶりだされた。

報道と呼ぶならば、どちらの位置にいようが一つの番組の主張を明確にすべきだ。

 

 

神話と国家

国家という概念が、いつ発生したのか?

海に浮かんで隔絶された文化と、

にた言語を話しても、異なったクニとしてせめぎ合っていた地理的状況は、発展の方向が異なる

堀田善衛の文章によれば、13Cの西欧でローマ法皇と仏王の抗争の中で、「仏国」が生じた。とある。

ギリシアに,古代中国に,メソポタミア,エジプトに,

ロ―カルな「くに」の意識は?

むしろ,「くに」を持ち出して説明する態度ないしは姿勢が、間違っているのではないか?