言葉

言葉 特に 翻訳語、カタカナ、さらには明治政府によって変形させられた言葉

発想の起点として設定することは重要であるが、

こだわりすぎると、自己矛盾に陥る。

 

すべての言語は、時代的な状況が反映している。

日本語に関して考えると、明治政府の文明開化の名のもとの西洋崇拝と、江戸への嫌悪感をどうとらえることになるのか。

 

... 歴史が繰り返されるというよりは、

歴史は集積された残渣で、人がそれをそれぞれの立場で理解、解釈することになる。振り返ってみれば、この国が「民主的」な時間を過ごしたことは一度もなかった。ここでは、自己の目的よりも、他からいかに評価というよりは認めてもらうかという卑屈さが、推進力となっている。規範があれば、我先に従うことを選択というより、「誇り」とする訳のわからない性向が存在る。

10/31/2015歴

...カタカナ言葉の流行

 現在の日本では日本語化しかけた外国語がはやりすぎいる

江戸鎖国ののち、明治開国のときから日本は大急ぎで外国の文化を吸収しはじめた。

それがあまりに急速すぎて、昭和時代に再び鎖国がおこなわれたが、ほどなくまた第二の開国の世がきた。

 

そのたくさんの外国語のなかには、表現されるべきものが日本になかったため、外国名をそのまま受け入れ日本語流にナマッタ発音もあれば、内容は日本にあっても外国語メイタ発音の新しい名で呼んだほうが、なんとなく上品で上質でありがたいというものもある。さらに、どうも中身の正体はよくわからないが、まるで分らないわけでもないし、適当な日本語を考え出せないからという理由で、日本式の発音で外国語の名称をそのまま用いているものもある。