olympic, watch yourself

Rio Olympic終盤。見苦しいほどの翼賛報道。国と関係なしに競技を楽しむのはもう不可能なのか。ほめ殺しという言葉がはやった時期があったが、現行の報道はまさに大本営発表といえる。選手を個人として評価できないのなら。

 高校時代にあった東京オリンピックも敗戦国の自己回復というスローガンとともに、土木工事に邁進し東京を整備するという目的が露骨であった。日本をニッポンと発音すると定義されたのもこの時期で、理由はホンよりポンが勢いが良いからであった。東京に狭い高速道路網が建設され、たぶん横浜からプータロウが排除された。鎌倉でいえば、稲村ケ崎の洞窟(防空壕あと)に暮らしていた人物が浮浪者狩りは基本的人権の阻害であるという趣旨の墨的鮮やかな文章を入口に張った。聖火が通過するとき、高校前の沿道で小旗を振らされた。同じ次元で天皇のお召列車なるものが東海道線を通過するときは、すべての陸橋に警官が配置された。また、溜池に向かう赤坂の坂道で数分立ち止まると、土手のうえから警官の警告が落ちた。ただ、この時代の10年後でも、この近辺では汚わい車が日常であった。アベベが裸足で駆け抜けたマラソンは衝撃だった。ただ思い出すのは人が10分を切る記録を出したときの、陸連解説者の認識だ。彼は最後まで、これは無理であると叫び、ニホンジンが勝つと言い続けた。それは半世紀たった2016年のオリンピックでも同じである。

 東京オリンピックがどのような熱狂を生んだか、記憶には明確ではない。その頃の高校生は醒めていたか、もっと斜に構えていた。それでも午前中の雨であった開会式の時間に晴れていたことは特異日という言葉とともに覚えているし、閉会式の国家を超えた混乱の楽しさは心に刻まれた。これに水をさす報道が先日された。羽鳥のモーニング云々で、あの美しい混乱は登場門にいた日本人が酒をふるまったからだという。なぜそんな秘密が半世紀伏せられていたのか?数千人の人々にどうやって浮かれるほどの酒をばらまいたのか?イスラム教徒も?この番組はある程度の主張があっただけに、国家宣伝のお先棒を担いだことは残念。

 オリンピックの記憶をもう一つ。保土ヶ谷(三沢)グランドで開催されたサッカーの無料入場券が高校で配布された。出かけたという仲間は知らない。